『戦後日本社会の“分厚い底辺”その、4』(夏目本の批判、第3章~)

 いつも前書きと後書きにスペースを食い過ぎて、本文が少ししか書き込めないきらいがあるので、きょうは早速前回の続き、(夏目の著作?「マンガはなぜ面白いのか」 を読みながら批判する。第3章~)を書きましょう!

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 第3章は 「手塚マンガから劇画へ」 という表題だ。
この章の最初の見出しは 「マンガを模写してわかること」 という。(彼に何が分るのだろうかと思いながら、とにかく読むだけは読んでみる。)

≪ 前章では描線の重要さについて、おもに表情をつくるという点からお話しました。≫ と書き出しにある。が、彼が前章でやったことは 「他人の有名なマンガ作品の主人公の顔を、ペン先や筆を替えて何通りか模写して、その自分の模写の仕方を記しただけ」 のことだった。(既述)
 そこには 「表情をつくる」 と言う “文言” だけはあったが、作品の内容と描線についての関わりや意味については全く何の考察もなく、ただ “重要” だとか “思想” だとか “表現” だとか “論” などという言葉がいたずらに羅列してあるだけだった。

にもかかわらずここでも彼は、
≪ 私が描線についてこだわるのは、自分もマンガを描いていて重要な問題だと思われる描線について、既成のマンガ批評が何も語ってくれないという欲求不満からきているところがあります。≫

などと、平然と嘘を書く。 嘘でないとすれば無知を晒け出している。

 おそらくまともなマンガ評論も批評も出来ない夏目は、何とか自分の発言を先人たちと違う独自なものとしてアピールしたい所なのだろうが、いかに身過ぎ世過ぎの三流売文業者の自己宣伝でも捨て置くわけには行かない。(理由はこの批判を始める前書き段階のいくつかの書き込みで述べた通りである。)

 先人のマンガ評論に対するこのような歪曲矮小化は 「悪質な詐称記述」 である。
なんとなればぼくが知っているだけでも1960年代に、「貸本時代」 から 『ガロ』 の創刊初期まで水木しげるが武良茂の名前で書いた 「マンガの描き方」(コラム)や、1970年前後の書評新聞 『日本読書新聞』 や戦後初の漫画評論専門誌 『漫画主義』 における数々のインタビューや記述や、その後も雑誌 『朝日ジャーナル』 『美術手帳』 『アサヒグラフ』 『太陽』 『芸術新潮』 『ユリイカ』 『話の特集』 など各誌上の 「現代漫画」 「劇画特集」 や 「つげ義春のマンガに関する記事や評論など、」 公表された数多くの文章の中でも 「画質」 「絵画性」 に関わる論評や記述がされて来た事実(後述する予定だが、たとえば石子順造らによる 「漫画」 と 「絵画」 についての簡略な概念の比較と分析)があるし、多くの漫画作品が単行本化される際の解説等でも随分取り上げられてきた。(それらに目を通すと、論者、筆者は漫画の評論家や漫画家に限らず、小説家、画家、映画監督、カメラマン、教師、学生、医師、音楽家、詩人、物理学者、歴史家、哲学者、建築家、企業人、役者、スポーツ選手、下町の商店主から職業不詳まで、実に多彩な人々による批評や論説や感想を読み取ることが出来る)

 第一、夏目が知らぬ顔であちこちから記述を盗用(と言って悪ければ断り無く自分の意見であるかのように流用)している手塚本人の漫画に関する “多数のエッセイ” や、または石森章太郎の 『マンガの描き方本』 にさえも描画に関する薀蓄はいくらでも散見できるではないか!(マンガ批評を業としていると自称する者であれば、ざっと目を配るだけでも30篇や50篇のそうした記述にはすぐに行き当たるはずである。)
およそマンガを論じようと言う時、「絵」 と 「画」 を意識の外へ置いてどんな批評も論説も成り立たないことなど知らぬ者はあるまい。

「マンガに関する」 他の批評や論説がことさらに 「描線」 だけを論じたりしないのは、そういう経験的で微視的なマニアックな話では解き明かすことの出来ない人間の(或いは人間と社会の関わりの)問題についても 「マンガ作品を通じて」 論じようと言う作業だからであって、それは丁度、「戦争を経験したものでなくても戦争と社会と人間について考察し、論じることを為す、為し得る」 のと同じである。
(夏目が有名マンガ作品を 「自分もマンガを書く人間だから分る」 などと言って物真似して見せて、「今までの論評には無かった批評」 だとか 「マンガ表現の文法」 などと恥知らずに言うのは、ぼくたちの少年、青年時代に 「俺達は満州やシベリヤで苦労したから言えること、今のだらしない若いモンは軍隊で鍛えればいいのだ」 などとホザイテイタ軍国主義懐旧ジジイどもの体験者優位感覚と似たようなもので、そう言うのを “イドノナカノカワズ” というのである。)

 もう一度書いておこう。
夏目は、こうした方法で 「知っていながら嘘を書く」 か、または 「無知を晒けて」 観念的にモノを書いているだけである。(つまり “やっていることが醜い=みにくい” おぞましいのである。)

≪ きちんとペンで模写してみると、その作家が何を感じてこの線を描いたのか、どこで苦労して線を描いているのかが直感的にわかります。≫ (直感的、、、そんな下らぬことでマンガが解ると思っているから模写と盗作のオンパレードを “批評・研究・記述・著作” だなどと詭弁・強弁するわけだ)

≪ 私(夏目)が漫画を批評する作業は、いわば自分でマネしながら習いおぼえたマンガの表現のしくみを、逆にさかのぼって解いてゆく作業だといってもいいのです。≫ (ほらね、だからダメだと言っているのだよ、夏目クン!)

“批評” と言うのはその主張が客観性に裏打ちされて始めて成立するものであって、主張に客観性を持たせるためには先ず事実(歴史・文献を含む)の中からできるだけ多くの検討内容を拾い上げ掬い上げして、自己の先入観を排したところで絶えず謙虚に地道に検証研鑽を積む、その上で “自らの思想や現在の立脚点を賭して” “意見として表明する” から批評たり得るのだ。
ダラダラと他人の作品の中の主人公の顔や手足を真似して描いて、“わかった!この作家の思想と表現の文法が解けました!” なんて、どう見たって40年前の中学生のマン研(漫画研究サークル)の時間浪費でしかあり得ないではないか。(だからキミは頭の中身が小学生ぐらいでストップしてしまった連中のカリスマにしかなれないのだよ。)

 自分が模写したマンガの絵を自分で “真似するのが楽だ” とか “丸っこい手のアトムの方が絵に求心力があった” とか、“アニメ化以降、絵が変わった” とかさんざんマニアックに語っておいて、すぐその後段で、
≪ こういう部分を、たんにマニアックに揚げ足とりのように語るのではなく、マンガ総体にとってどういう意味があるのかを問いかけながら語ることが、マンガを根底のところで批評することになるのだと、私は思っています。≫ (違う!ちがうぞ! 夏目クン! 大間違いの愚者の駄弁だ。 キミの下手な模写の説明なんかはマンガ総体!? にとって何の意味も無い!)

 何度もチェックを入れるが、キミには「根底のところで批評」どころか、正確に言えば 「表層をなぞること」 さえ出来てはいない。
キミはきっとそこを誰かに突っ込まれるだろうと畏れていたから先に 「揚げ足とりのように語るのではなく、」 なんて小賢(こざか)しい逃げを打っているだけなのだ。

と、この章もこんな具合でまだもうしばらくダラダラと 「ディズニーと宝塚と手塚」 のことなどが書いてあるが、中身は無いし受け売り記事みたいなもんだから端折って後半へ移ろう。
さあ楽しみだぞ! いよいよやっと次は(先日ぼくも「後で追及する」と約束していた)「劇画誕生」(45P~)と言うセンテンスまで来た。

  __________ 「劇画誕生」 __________

 このことに関して、夏目はどんな捉え方をしているのだろう?

と、読み始めればまたいつもの嘘と無知にまみれた記述が一杯だ。(ガッカリだ)
夏目と言う男は本当に 「自分のことしか考えない打算的な人間」 で、ここまで勝手に神様扱いしてネタにしてきた “手塚治虫” をここでは軽く、
≪ しかし、手塚の絵は60年代当たりになると、さすがに古くさく感じられるようになってきます。≫ と一筆で切り離す。

 手塚本人が生きていたら絶対こうは傲慢に書けなかったであろう。 実際それまで夏目はあらゆる所で手塚治虫を天まで持ち上げていたのだ。(死んだ者には遠慮無しとは、なんと卑怯な破廉恥奸であろうか!)
 この理由は、夏目の論法ではここで手塚は古くなったと書いておかないと “劇画” へは繋げられないし、時代を進めるのは産業の発展だ、とも言えなくなるからに過ぎない。(なにしろ全体を通じて言ってることは 「マンガは日本経済の高度成長に伴って分化、成長、成熟し」 「高度な大衆文化へと発展した」 のだそうであるから、恩人・手塚であっても死んだら踏みつけて次のチャンピオンに憑り依いていかなくちゃ、自分の居る場所がなくなってしまう。 ということ、)
まあ要するにこの部分も内容のある話ではなくて、単なる夏目のご都合主義の口から出まかせばかりだが、それでも我慢して読む。(夏目の本は “我慢せずには1ページも読めない” 代物なのだ。)

「1960年代に “団塊の世代” が青年期をむかえ始め、少し背伸びしたその青年向けに “Gペン” による粗い勢いのある線で描かれた “劇画とよばれる一群の作品があらわれた”(白土三平やさいとうたかをなどの作家がそれに当る)」
のだと夏目は知ったか振りで言う。
ここにも嘘がある。“団塊の世代” などと言う呼び習わし方は、当時の誰にも全く馴染みが無かった。
ぼくたちは長くマスコミによって “戦後ベビーブーム世代” と呼ばれていたのだ。 (それがアメリカにおける 「 Baby Boomer’s After World WarⅡ 」 の直訳造語であるとぼくが知ったのは何年も経ってからだったが、)
そして1960年代半ばからは、当時の私立大学生たちの授業料値上げ反対闘争が契機となって‘70年安保闘争へと運動が変移継続していく中で、いわゆる “全共闘世代”(1967,68年以降) とも呼ばれるようになっていた。(“団塊の世代” などと言う呼び方に変わるのはずっと後の 「全共闘運動瓦解後」 のことだった。)
 これも夏目の記述の基礎が実際の時代考証に裏打ちされていない証拠であるわけだが、彼はしつこく続けて、
≪ 団塊の世代という、やたら数の多い購買層が劇画の洗礼を受け、それを支持する中で、新しい表現が次々生まれることになります。≫
と、後の “雑誌 『太陽』 別冊の記事でも読んで書いているのだろうと思われるような本末転倒した記述” があってさらに、
「劇画によって青年向けマンガ市場ができあがり‘60年代後半に第2次漫画革命が起こった。」(ぼく、ナイトレが書いているのではない、夏目が書いていること)
「その後の日本マンガは青年向けマンガの発展と少女マンガの成長で巨大市場を獲得してゆく。」(しつこいが夏目がこう書いているのだ。)
そして、
≪ 大雑把にいえば、日本のマンガが小学生、中・高生、大学生、社会人、その中でも男性向け、女性向け、あるいはOL向けとか、子供の生まれた若い親とか、それぞれに細分化された市場をつくりあげてゆく。 その最初のきっかけが劇画と少女マンガの成功にあったのです。 手塚の物語構成の手法は、劇画や少女マンガによって受継がれ、さらに発展した ≫ 
と書くのだが、夏目はとにかく “巨大” とか “高度” とか “市場” とか “成長” とか “成功” が大好きなのだ。

 そこには 「劇画誕生」 の動機や意義が無視され捻じ曲げられて、極めて単純化された需要と供給の関係 「商品の流通と市場原理」 によって劇画が生み出され、発展してきたかのような嘘と誤りが繰り返し堂々と併記されている。
(実際には、夏目が言う 「劇画の成功の過程」 こそは早くも 「劇画の真髄が手足をもがれて窒息させられていく過程」 あるいは 「劇画 “作家” が劇画 “商売人” に活躍の舞台を奪われていくクーデター過程」 だったのだと言えるが、ぼく自身の 「劇画」 に関する意見は別のテーマで後日ゆっくりと書いてみたい。)

 ここではただ一点、ぼくが夏目を批判する根拠として 「白土三平氏」 本人も、たとえば 「つげ義春氏」 も、当時、自らの作品を 「劇画」 と名乗ったことはなかったし、貸本マンガから雑誌へと発表の舞台を移していた 「劇画家・旭丘光志」 氏でさえ、“描き手としては初めからマンガ、劇画のこだわりはなかったのが体験的な感想だった” と語っていたことを指摘しておこう。(『美術手帳』 1971年2月号・劇画特集)

 そんな嘘書き夏目が 「劇画の代表選手」 として採り上げるのが、さいとうたかをの 『ゴルゴ13』(’69~)だというのが余りにピッタシで笑える。(ではその記述に沿いながらここでもちょっとだけ突っ込んでみよう。)

「この “劇画”(ゴルゴ13)は大人向けのマンガとして成功した代表的な一例で、手塚的な描線では描けなかった世界を描いていて、クールな殺し屋が主人公で実在の事件などを素材にしたリアルな娯楽作品です。」 だそうだ。

 ここには夏目の浅はかな 「劇画」 観念が全て表われている。
ぼくは夏目ほど手放しで(ある意味盲目的に)手塚を過大評価する人間ではないが、とても上記のようなお門違いを平気で書くことは出来ない。
このような漫画を手塚が描かなかったのは、“手塚の描線では描けなかった” からではなくて、おそらく “手塚の知性がこういう内容の漫画を善しとしなかった” だけのことであって、(そこに別の意味で手塚の作家的限界が含まれているとしても)この場合には描線の問題などとは関係ないのである。
夏目は、あちこちで随分したり顔で 「手塚治虫」 の 「人と作品」 の上っ面をなぞって原稿料や出演料を稼いでいるくせに、じつは本当に何一つ手塚の思想を理解できていないし、手塚の書いた文言を様々に盗み書きしているくせに手塚自身が極めてしばしば吐露している戦争観(戦中・戦後社会観)さえも読み取ってはいないことが分る。
(1989年、手塚の没後間近に発行された 『朝日ジャーナル・別冊』 “手塚治虫追悼特集” 号の中で、最も情け無い自分本位の酷いコメントを寄せているのが夏目房之介と、さいとうたかを、永島慎二、などの面々であるのは象徴的である。)

『ゴルゴ13』 が “実在の事件” を素材にしたリアルな “娯楽作品” だというのもおかしな話で、世界中の殺人事件や戦争を見るまでも無く、人殺しを “娯楽” に供することがいかなる作家の人間性に根差し、かつ何を目的や価値判断の基準におく作者の社会観であるのか、と言う問題が一切問われていない。
(せめてこういう視点だけでも夏目にあれば、彼は決して手塚が古いだの、さいとうが新しいだの言えるはずが無い。 手塚が古いとすれば、さいとうは更に旧い思想の持ち主なのである。そして誰あろう夏目自身もまた、さいとうに輪を掛けて旧い思想しか持ち合わせていないことが、この後の記述にまさに 「絵に描いたように」 露呈されるのである。)

「ゴルゴは世界の大国の指導者達を相手にしても、物おじしませんし、逆に彼らに畏怖されています。」

そりゃあそうだろう、どこの誰とも分らぬ人殺しが、その場限りの(理由さえ有るのか無いのか、)ともかく無思想にいつも確実に誰かしらを殺し続けて30年近くも飽きることが無い筋立て、となれば、これはもう完全な殺人狂人間を露出しているだけのマンネリ・ストーリーであって、本質的に 「リアルな物語り」 などはこれっぽっちも成立していないのである。

≪ こういう主人公の造形は、ようやく高度成長をとげたものの、まだ国際的には二流三流だという劣等感をもっていた70年前後の日本人に強力にアピールするもので、手塚のバタくさいキャラクターが欧米への直截的な憧れを感じさせたのと対照的でした。≫
などと夏目は言うが、異議あり!である。
1970年前後の日本人がもしも本当にこんなマンガと主人公を 「己の劣等感から脱却するため」 に受け入れたり、誇ったり憧れたりしたとすれば、それこそは我々日本人がかつて第二次大戦へ突き進み、他国を侵略し、略奪し、婦女子を陵辱し、民衆に殺戮の限りを尽くした過去を無反省に忘れて、そんな事は無かった、と卑怯にも言い逃れていく戦犯・天皇制、同調者たちと同じ在り様であって、まさに2流3流以下の国民性のあらわれに他ならない。 ここに夏目の 「最悪に無能な誤謬」 がある。いや、「悪質な嘘つき確信犯」 の姿がある。

まず、この 『ゴルゴ13(サーティーン)』 というマンガが雑誌に載った経緯を振り返れば、その誤謬と嘘の原因が何なのかはすぐに解明する。

 かつて小学館から‘60年代半ば頃 『ボーイズライフ』 というマンガ雑誌が出版されていた。
大手出版社サイドでは当時、低年齢対象の少年(少女)漫画雑誌(いわゆる児童漫画)からやがて離れていくであろう読者層を繋ぎとめ、その対象である戦後世代の人口増大をカバーする漫画風雑誌の販売、拡大を試行錯誤していたから、従来の児童漫画には描けなかった物語り(ストーリー)や絵柄(描法)を内容とする漫画を必要としていて、白土三平を筆頭とする貸本系漫画家や手塚治虫をメインにそれぞれの 「漫画雑誌の衣替え(新雑誌の創刊の場合もあったし、既成雑誌の作家と作品の変換の場合もあった)」 を図っていた。
 そういう場所では白土も手塚も何をどう描こうかの 「テーマが決まらない作品」 を発表しているようだった。(雑誌も作家も中途半端な印象に見受けられた。)
この舞台は さいとうたかを にも与えられたが、さいとうはもっと描く物に窮していた。(というより、最初からさいとうには作品ビジョンは無かったのだろう。彼の目的は手塚や白土と並んで作品発表のチャンスを得ること、大手出版社に自分をビッグネームと認めてもらい、それに相応しい原稿料=収入を得ることだったのだから、)

 それでも白土や手塚はそれぞれ違ったやり方で自ら何か 「新しい作品」 を生み出そうと葛藤しているようにみえたが、さいとうが採った方法はもっとずっと安直な手であった。
それは 「映画」 でヒットしていた 『007 ジェームス・ボンド・スパイシリーズ』 の 「漫画化(劇画化)」 というものであった。

 そしてこの経験が後に 『ビッグコミック』 誌上でさいとうが始めた 『ゴルゴ13』 へとそのまま引き継がれただけのことであった。
つまり、『ゴルゴ13』 は筋立ても舞台設定もタイトルまで全て映画 『007・シリーズ』 のパクリ(換骨奪胎)コピーだったことは、多少なりとも当時の漫画出版状況を知っている人々には “見え見えの安っぽい常識” だったのであって、夏目が厚顔無恥に言うような 「成功した新しい表現」 でもなければ 「劇画の代表選手」 などであろうはずも無いことはマンガ批評、評論を為す者にとっては “自明の理” でなければならない話である。
 にも拘らず夏目はこんなお粗末な 『ゴルゴ13』(さいとうたかを)などを、(この章の直前まで持ち上げていた手塚治虫漫画に替えて)次のように持ち上げるのだ。

≪ こういうディレクター的な作家が60年代に頭角をあらわし、マンガ表現を変革する役割をになったことは、大人が読むに耐える作品を恒常的に送り出すシステムをマンガが獲得していったことを象徴しています。また無表情な主人公の成功は、日本のマンガが手塚的な心理劇から脱して、なおかつ物語をつくりえたという点でも評価されます。≫ だそうだ。 本当にどこまでも学習能力の無い人間だ。
毎度同じ感想しか言えなくなるが、“開いた口が塞がらなくなって困る” ではないか。

 さいとうの 「プロダクション・作画分業システム=マンガ生産工場化」 は 「マンガ “表現” の変革」 などではない。
まして夏目が言う 「手塚マンガからさいとう劇画へと作品の主人公が豊かな喜怒哀楽の表情、表現を失っていく過程」 は、断じて 「表現の進化」 などではあり得ない。
それはむしろ、ぼくたちのマンガ(という自由であるべき表現)が 「病んだ産業社会の疎外の副産物」 へと 「変質し、隷属させられていく表れ」 ではなかったのか、その意味ではマンガ表現の退行現象と捉えるべきであろう。(敢えて言うならば逆説的にさいとうの生き方が 「劇画情況的であった」 という皮肉、皮相は成立するだろう。)

 ともあれ “マンガ表現の変革” は、(仮にそのようなムーブメントや実質的成果があったとしても)出版大資本の経営戦略からは離れた場所で、小さい出版社や個人やグループによって、それまで作品発表の機会を得られなかった人々に対する働きかけが為されたり、それに応える人間の営為があってはじめて実現されて行ったと考えるべきである。
そしてそのことに注目した人々によって機(期)を同じくするように “マンガの概念” を革新する評論活動が展開されたのであった。
(ついでながら、雑誌 『ボーイズライフ』 も 『ビッグコミック』 も同じ小学館の発行であり、当時、発行部数はずっと少なく経営的には赤字ながら既に子供よりも若年社会人・学生層に強く支持されていた青林堂発行の月間漫画雑誌 『ガロ』 の刊行の影響を受けて 『ビッグコミック』 誌が創刊されたことはかなり広く知られた事実であった。)

 この章の締めくくりに夏目は時代の変化する様子を 「日本経済の高度成長と産業従事人口比率の対照」(第1次産業=農業、第2次産業=工業・製造業、第3次産業=サービス業、の就業者人口比率の経年変化)を唐突に他人の著作から抜書きして、そのあとに、
≪ 手塚的な感情表現は、この時代の変化の中で決定的に古くなってしまったのです。≫ ≪ 逆にゴルゴのクールな無表情のほうがふさわしかったのだと思います。手塚マンガとゴルゴの表情の違いには、そうした時代感性の落差が潜んでいるのです。≫ と結ぶ。
だが、既に書いてきた通り、手塚とさいとうの描く画の違いは 「時代感性?の落差」 などが理由なのではなく、描く作品の内容が作家自身にとってどんな表現方法と描法を必要としているか、ということの表れに他ならないのである。(その点で手塚をマンガ作家と呼ぶことは出来ても、さいとうを劇画作家と呼ぶことには抵抗があって、いまだに躊躇している。おそらくぼくは今後もさいとうを劇画家と呼ぶことは、逆説的に記述する場合を除いては無いだろう。)

 次の 「第4章(表現の振幅~吾妻ひでおと 『ドラえもん』 )」 については、またしても意味の無いことを書き並べたあげくに得意の 「下手な模写」 の 『ドラえもん』 『鉄腕アトム』 『オバケのQ太郎』 の顔が丸いだの目の位置の比較だのとのたまわっているだけなので面倒だから論評せず! 全部省略!

 さて、ここまでの3回のブログで夏目がどれほど多くの文言や言説を他人の記述から剽窃して自分の論のように言い換え、焼き直して使うかを少しずつ明らかにしているが、まだ名前を出していなかった著者がいる。
それは哲学者、社会評論家の 「鶴見俊輔」(つるみしゅんすけ)氏である。

 夏目にとって、鶴見俊輔の存在は非常に大きいはずである。
つまり鶴見の著作からは非常に多くの記述内容を盗用(流用?)しながら、氏の 「戦後民主主義と大衆」 に関する思想的な立場に基づく考察、論説については注意深く徹底的に避けて消して“成果”だけを取り込む剽窃を続けてきているのである。
 結果、当然ながら(その姑息な欺瞞と責任忌避のために)彼の文章ではちっとも鶴見氏のもつ社会性を受け継ぐことは出来ず、ただでさえ内容に乏しい所が余計にお粗末な文言の羅列になってしまうことになるのだ。

 じつは上にあげた 「戦後日本の時代変遷を産業別就業人口対比でみる」 などという “盗って付けた” ような組み立て方も、鶴見の 『戦後日本の大衆文化史』(岩波書店、1984年)58ページ( “戦後日本の漫画” の章)にそっくりなのである。
(これだけではない。興味のある方はご自分で対比されたい。鶴見本のこの章の記述は夏目によって他にも様々に書き盗まれている。“大衆” と言う言葉を頻発する所も元を質せばその単語自体が 「思想の科学」 などで普及された経緯がある。)

 ぼくが「戦中、戦後の米国的リベラリズムを経験した鶴見俊輔の思想構築と実績をどう捉え、考えるか」と言うこととは別だが、少なくともぼくは氏がかつて自らの哲学的命題と戦後社会の様々な状況について、あるいは理念と現実社会の実相について実践的に語る中でいわゆるインテリゲンチャの中ではいち早く‘60年代初期から 「漫画の社会的存在の意味についての論評をしてきた」 という 「活動の事実についてはしっかりと評価したい」 と思っている。
彼は1960年代初期に、既に関西で自分の教える学生達と共に貸し本屋を利用する客と社会、労働環境についての実地調べや考察を行っていた。そのことは彼の幾つかの著作に直接記述されている。(当時、まだそのような採り上げ方は他には無かったのではないか。)

 なにせ鶴見氏の人生の読書体験の最初の一冊は 『団子串助』(1930年代、宮尾しげを・作)なのだそうである。戦後生まれのぼくなどとはキャリアが違う。
(と言っても無論、古いからどうということではない。)ただそういう先達の営為の事実を自分の都合で消してしまおうと言う夏目の泥棒根性を浅ましい、醜いと言いたいのである。

______以上、この項終り。______


本日も長い書き込みに匙を投げずお付き合いくださった方々には心から御礼申しあげます。

 これまでは夏目の著作(文章模写?)の中の文言一々について検証を続けてきましたが、今までお読みいただいてお分かりの通り、まことに彼の記述にも内容にも読むべきもの、傾聴に値する意見、などが存在しません。
やはりぼつぼつ 「何故このような人間が社会で一定の影響力を持つ存在たりえるのか?」 そして 「何故このような空虚な人間に追従する人間が現れるのか?」 という命題の方へも入って行こうと思います。

 そのキーワードは 「ナルシズム」 と 「豊かさの幻影」 などになるかとおもいます。
漫画(マンガ)が好きで、もっと楽しいマンガ論議に花を咲かせたいのですが、そのために先ず最初にこういう心理学や社会病理学的な分析と標本作りの作業を必要とすることになったのは、やはり現代マンガ状況が出版産業とメディアにとって経営戦略上欠くことのできない 「装具」 となっていることの表れなのでしょう。

 ぼくたちのマンガをぼくたちの手に取り返したい。というのが漫画好きの普通の人間であるぼくの願いです。そのためには 「プロ」 に任せていては出来ないこと(遠慮ない批判や発言)を、ぼくたち 「アマチュア」 がやることが大切なのかも知れません。
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 昨日8月15日は 「敗戦の日」 でした。(終戦の日、というのは欺瞞です。1945年、天皇専制軍国主義国家・日本は、世界戦争で決定的に敗北、敗戦したのです。)

 その日、すべての戦争犠牲者を悼むという勝手な理由でこの国の現在の首相コイズミジュンイチロウは、性懲りもなくヤスクニジンジャを参拝しました。
全ての戦争犠牲者を悼むと言うのなら首相になったその日から、日本軍国主義の侵略戦争の犠牲になった1.300万人以上にのぼる人々の住まいした国々、朝鮮半島、中国大陸、東南アジア諸国および南方の島々への懺悔と贖罪の旅をするのが道理であろうと思います。

 マスコミを挙げてのパフォーマンスで毎回コイズミは 「国家のために尊い犠牲となられた方々(310万人の日本人の英霊、なのだそうだ)と外国で迷惑を掛けた人々に追悼の意を表して、二度と戦争をしてはならないと誓う。」 などと言うが、嘘も甚だしいというものです。
それならなぜ今現在イラクで航空自衛隊が米・英軍(イラクに対する侵略占領軍)の武器弾薬、燃料、食糧、人員、兵員、兵站物資運搬を日常業務としていることを止めないのか!?
なぜヒロシマ、ナガサキの原爆被災者(とその胎児2世)の被爆者認定を拒み続けるのか、なぜ日本中で米軍に(中でもその殆どを沖縄県だけに)治外法権の基地を提供し、自衛隊をその下請け組織として提供し続けるのか!?

 それは日本の民衆の選択と要求による結果ではなくて、産業資本と右翼国家形成勢力からの 「ねじれた人民支配の手立て」 に添った政策の具現化であるに過ぎません。

そして、次期政権をめぐる “まるで1.000年前の 「院政」 のような” コイズミとアベシンゾーの関係。(それらの腐敗構造の宣伝機関と化したマスコミとジャーナリズムの犯罪的体堕落)

 この国の民衆が本当の 「民主主義」(その思想はけっして戦後突然降って湧いたものではなく、日本の民衆自身が長い抑圧された暮らしの経験からの解放を目指して準備してきたものをも含む)を手に入れるためには 「国民全てが戦争責任をとる」(重い責任と小さい責任といろいろあるわけですが、)ことをしなかったことこそ痛切に反省して、デモでもストでも何でもやって、現在の米国傀儡政権を打ち倒すべきでしょう。

 こういう政治状況、経済、社会状況の中で、主として商業的、工業的な側面に囚われて、(マンガを 「収益を上げる事業」 の道具・手段ととらえて、)
「アジアやアメリカのマンガ製造と流通の状況が日本のマンガの影響で発展してきた中で、漫画界も真剣に “痛みを伴う構造改革” を思い切ってやらなければ日本のマンガの今後の更なる発展は無い」 だなどと政府の政策をそっくりなぞって漫画の表現とも評論とも無関係な意味も無い口から出まかせをほざく夏目のような人間を、ぼくは嘗て 「国家・体制と産業資本の提灯持ち」 と呼び、どなたかから、「充分な証拠を持って発言するように」 と諌められましたが、現在益々この思いは強くなっています。

 それでは次回以降は少し別の記述もしながら、夏目標本の作製に取り掛かる予定です。(1~2週間以内に清書して掲載予定です。)よろしければ今後の書き込みもどうぞご覧頂ければ幸いです。
本日はこれにて失礼いたします。(2006年、8月16日、お盆の送り火の晩に、N・T )




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